「未来へつなぐ命」の発刊にあたって

「未来へつなぐ命」の発刊にあたって

未来へつなぐ命 表紙

東日本大震災後、日本産科婦人科学会は産婦人科医師を派遣する等、被災地の産婦人科医療をサポートしてきました。

このような支援を継続するとともに、日本産科婦人科学会広報委員会は、より被災地の現状を多くの方に伝える方法として、「未来へつなぐ命 〜原発にいちばん近い街、南相馬の産婦人科から〜」を発刊するに至りました。

この本を作成するにあたり現地でお話を聞くなかで、切実に感じたことは、「まだ震災は終わっていない。この現実を風化させてはいけない」ということ。その上で、震災の被害だけに焦点を当てて伝えるのではなく、南相馬に生きる人やこの本を読んでいただいた日本中の人がこれからの未来へ希望を持てるような物にしたいと考え、このような形になりました。

今後も、日本産科婦人科学会は被災地に対し、様々なカタチで支援を続けていきます。

編集後記

編集後記

早いもので、東日本大震災から4年が過ぎました。

毎年3月11日が近づくと、様々なメディアで震災の記録が報じられますが、その期間が過ぎると何もなかったかのような日常が戻ってきます。

しかし実際には、被災地の復興ははじまったばかり。今回の取材地である南相馬は福島第一原発から20〜30kmの距離にあり、今も自宅に戻ることのできない方がいらっしゃいます。除染が進み空間線量は落ちついているものの、原発の廃炉に向けたロードマップは30〜40年はかかると言われており、汚染水が流出するなど、まだ予断を許さない状況にあります。

そういった環境の中で暮らし続けるみなさんのお話をうかがう中で強く感じたことは、原発や放射線の問題は、暮らす場所を選ぶ上で条件のひとつに過ぎないということ。そこに家族がいる。恋人がいる。友人がいる。仕事がある。

生まれる場所を選ぶことはできませんが、そこで時間を過ごすうちに、地元というかけがえのない場所になっていきます。そして、他のどこでもない地元で暮らしたいと願うことは、ごく普通のことだと思うのです。

今回の取材を依頼した時、「自分たちが伝えないと、忘れられてしまうから」とおっしゃった安部先生の声が、今も耳に残っています。

私たちは取材を終えて東京に戻れば、また普通の生活に戻ることができます。そのことに対して、言いようのない罪悪感がありました。当事者になれない私たちにできることはなんだろうか。

編集部で議論を重ねた結果、南相馬で生きる方々の姿をありのままに伝えること、そして、一度の取材で終わらせるのではなく、これからも伝え続けることが大切なのではないかと思い至りました。

南相馬の産婦人科と今回の取材で出会った赤ちゃんたちの成長を伝え続けることで、わずかでも被災地のみなさんの力になることができれば幸いです。

「未来へつなぐ命」編集部

大震災から4年。私たちがすべきことは「現場の声」を知ること。

>大震災から4年。私たちがすべきことは「現場の声」を知ること。

加藤聖子教授

2011年3月11日、皆さんはどこでどう過ごされていたでしょうか。 東北地方に甚大な被害をもたらした東日本大震災から4年…。我々がやるべきことはたくさんありますが、一番大事なことは、現場の声を知ることだと思います。
日本産科婦人科学会は震災直後から原発事故の影響で産婦人科医不足が続いている福島県への派遣を続けています。原発に一番近い街、南相馬市で「南相馬を故郷にもつ命を絶やしてはならない」という信念のもと、産婦人科医療を続けておられる先生方や地域の皆さんを取材しました。その声を皆様にお届けします。

加藤 聖子 かとう きよこ教授

日本産科婦人科学会 常務理事・広報委員会委員長 / 九州大学病院 産科婦人科 教授

加藤 聖子教授 日本産科婦人科学会 常務理事・広報委員会委員長 / 九州大学病院 産科婦人科 教授

宮崎県出身。1986年に九州大学医学部を卒業し、同婦人科学産科学教室へ入局。89年、米国ラ・ホヤ癌研究所留学。九州大学生体防御医学研究所講師、順天堂大学産婦人科准教授を経て、2012年より現職。専門は婦人科腫瘍学。 日本産科婦人科学会常務理事、日本婦人科腫瘍学会常務理事、日本癌学会評議員などを務める。